2007年01月22日

母へのお詫び

脳梗塞で倒れるまで母が高血圧や白内障があるのを知らなかった...。

高血圧は1年ほど前病院について行った時に看護婦が血圧を測ってるのを見てたが、その時は高くなかったのを覚えている。倒れる2〜3ヶ月前から物忘れや覚えが悪くなったかなぁと思ってたが、そんなにも気にしていなかった。1週間程前は調子が悪そうで食欲もなく、内科に連れって行ったんだけど脳梗塞になるとは思ってもいなかった。少し前は「右手の肘から手首にかけて痺れがある」と言ってた、これもすぐ治ると思っていた。脳梗塞の前兆はあったんだけど、私が見逃していたのを今は悔やんでいる。

白内障は目が白く濁るんだから、気を付けて見ていれば分かってたはずだ。これも私が悪い。姉は白内障は本人が言わんのが悪いと言っていたが、そんなことはない...周りが気づいてやらないといけない。

私は目が0.02ぐらいだが家に居るときはメガネを掛けていなかったが、倒れてからは掛けるようにしている。今後は小さな前兆でも見逃さず早めに対処してやりたい。
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posted by ぼにん at 21:23 | 岡山 ☀ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

11ヶ月余り介護して

退院して当初は私が風呂に入れたり、寝床の準備や食事の準備をしていた。食事の準備は多少は母もやっていたが。でも幻覚もなくなり涼しくなりかけた頃からは、いつの間にか母が自分でやりだした。食事の準備も昼間に母がほとんどしてくれている。私は足らないなと思ったら炒め物なんかをする程度だ。日曜なんかは一緒に夕ご飯を作る時がある。

母は便秘もちで週1回でればいいほうだった。内科で薬を出してもらているので倒れてからはわりと出ているが、それでも毎日とはいかない。
いつごろだったか忘れたが、一度腹が苦しいと言うので夜遅かったが主治医に電話して浣腸をもらいに行ったことがある。浣腸をしてやったが、ベッドに横になって浣腸をしたので、起きようとすると液がでてしまうと言うので、どうしようかと慌てた。タオルで栓をするかたちで何とか起き上がらせて、便所に行ったときはホッと一息だ。

何とかいつもの年と同じように2006年の大晦日が来た。いつまで母の面倒を見ると言うか一緒に暮らせて行けるか分からないが、無理をせずに私の時間もたくさん取って、母と一緒に頑張りたいと思う。
posted by ぼにん at 21:19 | 岡山 ☀ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月21日

いよいよ介護 -- 介護に苦悩

退院してから8月迄は色んなことがあり結構大変だった...。それ以降は、脳梗塞で倒れた母だが体の障害もなく、軽い認知症・座ってからと椅子からの立ち上がりに支えが必要(机なんかに掴まって自分でできる)な程度なので、介護と言っても始終気を配る必要はく、そんなにも手がかかることはない。
私はストレスは溜まらない方だが、さすがにストレスだったのだろう自分の感情をコントロールすることができない時があり、何度か母に辛い思いをさせたことがある。

[言い争い]
介護を始めた当初は「一緒に住んでいるのは私だから介護しないといけない」と思っていたが、次第に「何故私1人が?」と思うようになってきた。
ある日、兄と姉に「自分ひとりに押し付けられたら困る」とぶつける。兄はなにも言わないが、姉は「自分勝手な」「自分の家があるから面倒は見えない、見てたらこっちが病気になる」と自分のことばかり考えてるようだ。
姉が「年金の額や貯金は」と聞くから言うと、でた言葉が「老人ホームはええところには入れん」だ、今まで母にしてもらった事を忘れて、自分のお金を使うのが嫌なんだと改めて思った。貯金は「なんでそねん少ねんなら」とまで言った、母のお金の使い方を考えれば分かるはずだ。それに兄も自分の子供のために使ってたのに、また借金もしてるのに黙ってた。
特に「最後はお金だ」と言った。それに、「介護してるから立てて物を言ってるつもり」と言ったので、言葉に裏があるので気をつけないとダメだと思った。以降、姉を相手にしないつもりだ。

[手を上げる]
今(2007年1月)は、何が原因だったかよく思い出せないが、些細なことから母に頭に来て手を上げたことがある。本当に些細なことだ、母は何故怒られるのか叩かれるのか分からなかっただろう・・・。

[母の愛]
私が感情のコントロールが出来ないから母をぶってしまわないために「今日は帰ってこんから」と家を飛び出したりした事もある。また兄弟で言い争ったのも気にして、「早よう死ねばえぇ」「入院できるえぇ所がねぇかのぉ」とか言うことがある。
一度、「私が居なくなると姉や兄はどうするだろう」と試したくて、「出て行く」と行って実際は自分の部屋に居たことがある。母は姉や兄に電話するだろうと思っていたが、そうではなく「○○よ元気で暮らせえよ、悪かったのぉ、感謝しとる死ぬまで忘れん」とか言って、部屋で横になっている。私は母に謝った・・・。

[気づく]
ある日新聞に「介護者の苦悩、支え手にも支え必要」と載っていた。「母を最後まで見たい、でも介護がいつまで続くのか分からないのがつらい」、「初めて失禁した母に手を上げてしまい、良心にさいなまれる」など、みんな私と同じような思いを抱えているのに気づいた。
posted by ぼにん at 20:01 | 岡山 | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

いよいよ介護 -- 外泊

[トライアスロン出場]
私は毎年、地元のトライアスロン大会に出場している。8月中旬その大会があり、時期も悪く母の幻覚がまだ現れてる時だ。以前から兄に「退会の前の日に泊まりに来てくれ」と頼んでおいた。でも一週間ほど前に兄が用事が出来たから「何とかする」と連絡があり、当日は姉の子供(成人である)にが泊まりに来てくれた。用事ができたのなら仕方がないが、何故姉の子供が来るの?と思う。姉はそんなに家のことをしないといけないのか?一晩ぐらい母の面倒が見えないのか?と、不信感を覚える。母は何と思ってるんだろう...。まぁ誰であれ人が居てくれるので安心して寝れると思ったら、母が起きたりするので目が覚める癖になっているのか、あまり寝ることが出来なかった。
この時、次回からはショートステイを利用しようかと考える。母も孫に迷惑をかけるのに気が引けるのだろう、デイケアで泊まっている人がいるのを知ってるから「今度からは泊まりゃええ」とか「ご飯食べて早よう寝りゃええから1人でも心配いらん」とか自分から言い出した。

[山登り]
10中旬に友人と山登りに行く。今回はショートステイを利用するように手配している。心配は、環境が変わるので幻覚やトイレだ。それに2日ほど前から風邪を引いたので、まだ咳をしている。皆同じようなものなんだろう、スタッフの方もよく知ってるもので「大丈夫ですよ」と言ってくれる。
山から帰り、予定の時間に迎えに行くと「幻覚もなく変わりなく過ごされましたよ、トイレもベッドの横のポータブルトイレに失敗もなくされてました」と言われ、良かった〜。
posted by ぼにん at 21:06 | 岡山 ☁ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いよいよ介護 -- 5. 8月以降2

8月下旬以降は、今までの「胸の痛み、むくみ、膝の痛み、転倒、幻覚」と今度は何だろうと思いながら日々が過ぎていった感じだったのが、大きな問題もなく過ぎていった。今でも幻覚は見えるようだが、本人も自覚してるので大丈夫だと思う。

問題や変わったところは、
10月下旬に食事の量が2〜3日減った時期があった。いつもの量より半分ぐらい落ちていたが、本人に言わせると「食べんときもあらぁ、年のにそねんも食べれるか」だ。一応次回通院時に主治医に相談報告だけしておいた。母は82歳にしては良く食べる方だと思う。
11月上旬に、朝膝に痛みが出て立てれなくなった。思えば前に日の歩き方がおかしかったように感じる。仕事を休んで病院かと考えたが、母には辛いだろうが会社から帰って病院に連れて行くことにした。休むときはどうしようもない時だ。丁度その日整形に行くつもりだったからタイミングがいいと言うか・・・・、思ったとおり膝に水が溜まっていて抜いてもらうと翌日には良くなっていた。今回は長引かなくて一安心だ。
12月下旬にも朝少し膝が痛むと言ったが歩きだすと痛くない・・・悪くならないうちに整形に行くことにする。
10月に入ると、今までは夜は「10時にならんと寝たら便所がはずむ」と言って10時までは寝なかったのが、9時前でも寝るようになった。
と、このくらいだ。
posted by ぼにん at 20:15 | 岡山 ☁ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

いよいよ介護 -- 4. 8月以降

足のむくみは本人はそんなにも気にならなかったようだが、膝の痛みは今までは膝が痛くなると水を抜いてもらうと長くても2日ぐらい痛みがある程度だったが、今回は2ヶ月近くも続き相当辛かっただろうと思う。今後は以前のように歩き回らないほうがいいだろう。

[幻覚]
7月に入ってから幻覚を見るようになる。若い女の子、アメリカ人(黒んぼ)、親戚のばあさん、背の低い女がタンスの引き出しから何か物を食う、便所にいた子供が便器の中に隠れる、男が犬か猿を連れて立っている、など色んな幻覚が現れる。昼間の時もあるが、ほとんどが寝床に入ってからだ。夜中の時もあれば朝方の時もある。
7月の下旬ぐらいから毎日のように幻覚を見て夜寝れないようだ。
一度は夜中の12時ごろに、相当怖かったのか「警察を呼んで見回ってもろうてくれ」と言って寝ようせず、私が呼ぼうとしないものだから、窓を開けて隣の人に呼んでくれるよう頼もうとしたり、大声を出したり困った。母が兄と姉にまで「警察を呼んでくれ」と電話をいれたが、兄は駆けつけてきてくれたけど、姉は来てくれなかった。
夜中に現れる幻覚は夢で、昼間に見る幻覚は白内障も関係してるのか違うものに見えたりするんじゃないかと思う。

この幻覚が、あるキッカケで見ないようになった、それは8月中旬ごろデイケアで昼間寝てるときに家で見るのと同じ幻覚が現れた。回りの人に「うなされてたから怖い夢を見たのか」と言われたようで、自分でも今までのは夢だと認識したみたいだ。

[介護認定の更新]
介護認定の有効期間は初回は6ヶ月だ。8月には満了日になるので、7月中旬ケアマネージャーが更新手続きをしてくれ、8月上旬に介護認定通知書が来た、要介護2で今度は二年間有効だ。

[心療内科受診]
以前から内科の主治医に認知症の薬もここで出してもらえるかを聞いて、処方できるし認知症の患者もいるようなことだった。その時は足のむくみや膝があったので落ち着いてからと思っていた。
7月下旬に主治医で認知症の検査を行ない、軽度〜中等度で「足を踏み入れた段階」とのことで、今の状況だとアリセプトで進行を遅らせる効果は高い、アルツハイマーにはアリセプトしか薬はなく、この薬は進行を二年間遅らせることができる。

幻覚がひどくなる一方なので8月上旬に専門の心療内科で見てもらうことにした。そこでも主治医で行なった認知症の検査をし、薬はアリセプトと精神安定剤が出た。認知症の検査は主治医の方が上手かったように見えた。それに検査結果も教えてくれない、次回に通院した時にきくと、30点満点中11点とのことだ。点で言われても程度が分からない。この心療内科は、診察はただ話を聞くだけで2〜3分で診察も終わる。心療内科はこういうような診察なのか?、意味がない。
11月中旬ごろ「もう幻覚も治まってるので通院しても意味がないんじゃないんですか」と言い、止めることにした。今後は主治医の所でアリセプトを処方してもらう。
posted by ぼにん at 21:43 | 岡山 ☀ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

いよいよ介護 -- 3. 4月〜7月

[足のむくみ]
足のむくみは退院してしばらくしてから目立ってきて7月下旬まで続いた。一ヵ月半ぐらい経った頃、むくみが一向に良くならないので「この主治医で大丈夫か?」と思うようになった。先生は「足のむくみを取るのに利尿剤を使うから水分を取られてしまって、脳梗塞になってしまうほうが命に係わるので、変な話腫れているだけで命に係わらないから、気長に見ていった方がいい」言われた。
5月中旬に「今の処置が間違っていないのか」の不安を取り除きたいので、総合病院で検査してもらうことにした。結果、正しい処置をしており、足のむくみも病的な原因は乏しく、あまり歩かないことが原因で、改善には足を上に上げる、弾性ストッキング、塩分制限とのことだ。
足のむくみは4月始めぐらいからと思っていたが、二、三ヶ月のむくみのような皮の厚みじゃなく以前からむくみがあったはずだとのことだった。

[膝の痛み]
4月中旬〜6月下旬まで膝の痛みが続いた。痛みは右足にあり何度か水を抜いたが根本的な治療ではない。膝の内側の軟骨が磨り減っているのでヒアルロン酸の注射による治療をしてもらうことにした。その内に左足にも痛みがでてきて右足同様にヒアルロン酸治療を行なう。
最初の右足の痛みは、1ヶ月近く入院してて足が弱っているのに、退院してすぐに朝市に行ったり買い物に行ったり急に歩いたのが原因だと思う。左足は右足の痛みが長かったのでかばって歩いたから痛みがでたんだろう。

[会社、デイケア]
5月中旬ごろ、母の具合が悪く心配なときや病院で検査が必要な時など、仕事を休むことが多くなっている。今後もこのようなことはあるだろう。会社に迷惑をかけれないので辞めるよう考えていると社長に相談すると、「結論を急がずに良い方法を考えてからに」と言ってくれ、出勤も1時間遅い7時からに変更してくた。この1時間は嬉しい、朝母と一緒に食事を取って出かけれるので、具合も良くなってくるんじゃないかという気がした。
その翌日、介護支援センターに連絡し延期していたデイケアに通うことにする。相談の結果が、本人が疲れない程度の週2日(火、木)で始めるようにした。火曜日は以前体験入所した時知り合いの人が多く居たので、たぶん母も喜ぶだろう。
デイケアに行き始めた頃は、「行かんといけんのか」とか言ってたが、楽しかったのか次第に「今度はいつ行くんかの」とか、病院に行かないといけない日なんかは「休まんといけんのぉ」とか言うようになった。

[倒れる]
私は会社から帰ってランニングをよくする。6月中旬ごろ、ランニングから帰ると「母がリビングで倒れていた」時があった。声をかけても返事をしないのでゆすると目を明けて意識が戻ったようだ。どうしたのか聞くと、
「廊下の方で倒れたからここまでほう手きたねぇ」
「目が回ったから座ろうとしたら倒れたんじゃろぅ」
「何かにつまずいて倒れたんかもしれん」
と色んなことを言ったけど、「目が回って座ってから意識がなくなったん」だと思う、幸いどこも打ってはいないようだ。でもこの時じゃべれなっかたと言った。
目が回って意識がなくなる、じゃべれない・・・脳梗塞の前触れじゃないかと不安になる。検査した方がいいか?
この後2〜3日、ふらっとして横になることがあった。意識はあったが続いてるので内科で受診する。先生の話では「めまいで意識がなくなることはない、意識がなくなるのは、脳梗塞、不整脈、急激な血圧低下」とのことだ。利尿剤により血圧が下がった可能性が高いので、足のむくみもある程度改善できてるし、血液検査でも心不全を示すBNPが大幅に改善されてるので、利尿剤の飲み方を変更する。
この後、めまいが起きていない。
posted by ぼにん at 22:00 | 岡山 ☁ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月16日

いよいよ介護 -- 2. 4月

母の現在の症状は、
1.高血圧
2.心不全
3.認知症
4.膀胱炎
5.白内障 である。
高血圧・心不全・認知症は主治医の内科で、膀胱炎は総合病院の泌尿器科で、白内障はこれから眼科に行く予定だ。総合病院で全て見てもらえば一番いいと思うが、主治医が近くの内科の方が気楽に相談できるし何かと融通が効く。

[上旬]
胸の痛みと足のむくみ(膝から下)がでている。胸は「キュアキュアと指すような痛み」で、むくみは脹脛がパンパンだ。
主治医にデイケアは当分行かないほうがいいと言われたので、ケアマネージャーにその旨伝える。

眼科で白内障は養生してから手術を考えたほうがいいと言われた。心不全があるので内科もある総合病院で手術をするのが安全だと思う。

[中旬]
風呂場で「ドサ」と倒れる音がしたので行ってみると脱衣場で倒れていた。ふらついたらしく、体重計の角だと思われるが頭を打ち5cm程てっぺんを切っている。意識はしっかりしており血は傷からすると見た目より出てないようだ。すぐに救急車を呼び、脳梗塞で入院した病院へ運んでもらう。救急車の中で血圧200/100を超えていた。病院で縫い合わせCTによる検査の結果、悪いところはどこもないとのこと。これが原因で脳梗塞をまた起すことがあるので、点滴で水を十分入れておくとのこと。5日後に抜糸の予定。
その翌日の夕方から、ふらつき、足が思うように動かない(前につんのめるような歩き方)、眠たそうにする等脳梗塞の症状が現れる。二月中旬に倒れる前の状態に似ている。翌日にMRIで検査をしてもらいに病院に行くと、ステンレスの金具で頭部を縫い合わせてるのでMRIが撮れなかった。CTでは脳梗塞は見当らない・・・でも初期の脳梗塞は分からない。胸のレントゲンを撮り、胸水はほんの少しあるが問題ない。抜糸の日にMRIの予約をして帰る。
抜糸の日にMRI検査をしてもらうと脳梗塞はないとのことで安心した。


胸の痛みは次第になくなってきている。足のむくみは相変わらずで、悪いことに膝に痛みが出てきている。たぶん水が溜まっているのだが、近くの整形で抜いてもらうことにした。
posted by ぼにん at 22:10 | 岡山 ☔ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

いよいよ介護 -- 1. 3月下旬

私の仕事は朝6時から夕方4時までの仕事だ。

退院2日後から兄が2週間ほど面倒を見に来てくれるようになっている。私は朝5時30分には会社に行くので、兄が5時に来るようになっている。それに午後2時ごろから姉も様子を見に来るようだ。
その日、母は朝4時過ぎから起きて5時前に朝市に行って来ると行って出て行った。もちろん歩いてだ。朝市までは500mぐらいの距離だが、入院生活を1ヶ月した後なのに本当に行けるのか・・・。行く道順は分かるので兄が来るまで待って、朝市に様子を見に行くと母の姿が見えた。
今日の朝の様子や一日の様子を見たからか、兄が明日からは10時に来ると言い出す。高血圧は朝が一番やばいのに・・・何も分かっていないのか。母も今日はえらかったのか、「もう朝市には行かん」と言っている。明日から私が起きる頃には母も起して様子を見て、私が出かけるのを認識させないとダメだと思った。

心配だが朝5時半には会社に行き、10時過ぎても兄から電話がないのでホットする日が続く。4日程経った頃か兄が「明日は来れんから」と言う...、「何、約束が違う〜」でも、肝心の朝の時間に来てくれてないのだか「もう来てくれなくてもいいわ」と思った。
母に「ふらついたりしたら座り込んで倒れないように、何かあったら会社に電話するように」言い、次の日から姉が来る2時までが心配だ。

母には既往症があり、膀胱炎の検査と整形外科に定期的に通っていた。今までは自分で電車やバスに乗って通院していたが、これからは1人では無理だ。脳梗塞で入院して数日後に病院に連絡は入れている。膀胱の検査は予約を要れ検診に行くと先生が「よう来れるようになって良かった」と言ってくれた。また整形外科の方も同じように言ってくれた。

まだ介護認定の結果が分からない段階だが、家の近くの介護支援センターに今後の相談をする。通所サービスにはデイサービスとデイケアがあり、母には足のリハビリを兼ねて通所されている方との雑談がいいと思うのでデイケアが合ってると思う。体験入所をさせてもらうことにした。
月末に介護認定通知が来た。要介護2だ。
posted by ぼにん at 21:40 | 岡山 ☀ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一方的に退院

母も夜になると看護婦が怖いと言って、夕方見舞いに行って帰るとすぐに部屋の鍵を閉めるようになっている。
治療経過や病気の状態を、「院長以外の先生や看護婦が説明してはいけない」と言うのも、おかしい。

このまま何の治療をしてるのか教えてもらえずに、ずるずる入院してても仕方がない。他の医療機関で再検査してもらうことを考える。でも母を家に1人には出来ないので、兄がしばらくの間見ることが出来るようになる時期を待って退院することにする。兄は自営業みたいな仕事なので融通がきく。

入院してから12日目に、病院に行き母に「今日退院するから」と伝え部屋の片づけを済ませてから、受付へ行って「これから退院する」と告げる。
前の病院からの紹介状(情報提供書)と入院するときに渡した薬を返してくれるよう言うと、「薬はもう無くなりました」とのこと。2週間分入ってたのに、まだ残ってるはずだ。

この病院は1つだけ良い所があった。前の病院では食事をほとんど残していたが、この病院では美味しいと言って残さず食べる。食べやすく「お粥」にしてもらってるからかも・・・。


翌日、総合病院で胸水の診察をしてもらうと、ほぼ治りかけてるので抗生物質を処方してくれた。通院の必要もないとのこと。
その足で、以前からの掛かりつけの病院に行き、今までの状況を説明し今後の診察をお願いする。
posted by ぼにん at 20:40 | 岡山 ☀ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月14日

再び入院

退院の翌日、紹介状の病院に母を連れて行く。この病院は介護支援サービスも行なっているので紹介状を書いてもらう決め手の1つだった。
紹介状を渡し今後の診察をお願いをする。早速、肺炎の治療状態を見るため胸のCTを撮ると、胸に水が溜まっていて「胸水」とのこと。胸水は通院でも治療できるが、血沈が30分で58(女性は1時間で15以下)の値が出たので、2週間程度の入院治療がいいとのこと。その後、通所リハビリに切り替えていく予定。 ・・・ 再び入院だ。
前の病院も個室しか空いていなかったが、この病院も個室が1つ空いてるだけだった。数人部屋の空きが出次第、移してもらえると言われたので、仕方がない。個室料金は前の病院と同額だったが、部屋に入っていくと「何この部屋、前の病院と比べてえらい違いだ〜」と先行き不安な気持ち...。

不安な気持ちは残るが、母を家に1人にして仕事に行くわけにもいかないし、入院できてしばらくは今後どうするか考える時間がある。

当初の不安通り、看護婦の質やら母に対する態度やら、頭にくることが出てきた。おまけに姉が、それを私に愚痴るのも嫌でたまらない。
入院して1週間経った頃、入院先の関連のケアマネージャーに今後の相談をすると、後日「退院はまだまだ先なので、もうしばらくして様子を見て考えましょう」との返事だった。
看護婦に、「入院予定延期の理由や治療の経過、病気の状態」を聞くと、院長から説明します」と言うだけだ。
毎日夕方見舞いに来てるので院長と話させてもらえるよう求めると、「院長の都合がつかないから、午前中のいい日を言ってください」との返事。
姉にパートを休んでもらい、都合をつけると、今度は、「その日は院長が外出するので、○○日はどうですか」だ。

この病院は何だ!、前から思っていたが他の病室を見ると老人ばかりで、うろうろしてる人や「あーあー」と声を上げてる人やらで、病院?って感じ・・・
母が言ってたことがる、「その向こうの部屋に夫婦そろって入院しとるのがおる」どうやら知り合いらしく、家を閉めて入院してるらしい。老人ホームか?
posted by ぼにん at 19:47 | 岡山 ☀ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

退院

入院して12日目ぐらいに先生から「状態も良くなっているので2日後ぐらいに退院できます」と伝えられた。でも胆がからんだ咳がでてるのでCTで検査してもらったところ肺炎になってることが分かり、退院が延びることになる。その日ぐらいから食事ができなくなり点滴のみになる。
肺炎も良くなり、先生から「今後は家の近くの病院で加療が必要なので、希望の病院に紹介状を書きます」と言われ、私の家の近くには良い病院がないが神経内科の看板を出している病院に紹介状を書いてもらうことにした。

結局17日間の入院生活だった。退院の前の日、母に「明日は退院だから」と言ったが、分かっていないような雰囲気だった。退院の日、兄弟3人そろって母を迎えに行き、部屋を片付けたりしてると母は「どうしたんなら、帰るんか」と言う。母を車に乗せ家に帰る間中、母がいやに物静かだっとのを覚えている。
posted by ぼにん at 21:36 | 岡山 ☁ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

入院続き・・・食事

入院中の食事は、最初の2日間ぐらいは普通に食べていたように記憶している。でも3日目ぐらいからは食事の量が落ち、少ししか食べなくなった。「ベッドで寝てばかりの生活だからだろうか、点滴を常に入れてるからあまり欲しくないのか」と思ったりした。
食事の量は退院するまで少ししか食べなかった。と言っても最後の4日間ぐらいは肺炎になったため食事が出来なく、点滴で栄養を取っていたが。

目が見えにくいのが顕著に分かるのが食事の時だ。茶碗や皿を探したりしている。目は見えにくいばかりでなく視野も狭い気がする。
先生が「白内障があるから雲がかかって見えるんだろう、それに脳梗塞で目が見えにくくなってるのかも」のようなことを言われたと思う。実際本人も「雲がかかったように見える」とか「今日は雲がかかってねぇわ」とか言っている。
posted by ぼにん at 21:04 | 岡山 ☁ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月12日

入院続き2・・・リハビリ

入院して4〜5日経つとリハビリが始まった。リハビリは昼間だったので私は用事で帰っているか仕事に行っていたので、なかなか見ることが出来なかった。二度ほどリハビリに一緒に行くと、母はリハビリ療法士と大きな声で喋りながら歩いている。リハビリ室内を歩くだけなら母にしてみれば簡単だと思う、何故なら倒れる以前はよく歩いて出かけていたからだ。でも机の前で数人と行なう作業療法みたいなのは苦手で、「あれはなんなら、宗教か?」と言って、寄り付こうとしない。姉は見舞いに来たときに何度かリハビリに付いて行ってたので、どんなか聞いてはいたが大したことなしていない。

そういえば私には、姉と兄の兄弟がいる。

何度かこの作業療法をさせられたんだろう、夜中に私に「こんなとこに連れてきて宗教に入っとんか、はよう家に帰ろ」と言うことがあった。この時は「何で宗教?」と思っていたが、リハビリを見に行って始めて分かった。

リハビリ療法士の方に「介護保険はもう申請しましたか」と聞かれ、退院してからでいいと思っていたが、申請して一ヶ月程かかると言われたので、その病院のソーシャルワーカーに説明を聞き、手続きを行なうことにした。
認定調査(聞き取り調査)は病院の部屋に調査員の方に来てもらい、姉に立会いをお願いした。
posted by ぼにん at 20:45 | 岡山 ☁ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

入院続き

母は付き添い2日目から「明日は帰って仕事に行け」と言っていたが、夕食が終わって付き添いせずに帰ろうとすると、やはり不安と寂しさがあるんだと思う、いつもより元気がない。私も夜のトイレや幻覚なんかを思うと心配な気持ちで一杯だ・・・。昼間のうちに今日から付き添いはしないことを看護士さんに伝えていたからか、帰りにナース詰め所に寄り「帰ります、よろしくお願いします」と声をかけると、早速母を詰め所に連れて来ていた。

2〜3日は私が帰ると詰め所にあるベッドで寝かせていた。ある日部屋が空っぽになってるのでビックリした。母はよく喋るから詰め所に居られると仕事にならないのだろう、詰め所の前の部屋に移っていた。
posted by ぼにん at 21:13 | 岡山 ☀ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月10日

入院付き添い2

幻覚は日増しに激しくなっていき、次第に昼間でも「洗濯機に水をいれんといけん」と言ったりしてベッドから起き上がろうとする。それに止めようとすると大声をだすようになる。入院の時に「個室しか空いてないけどいいですか?」と聞かれ「個室かぁ」と思ったが、今になって個室で良かったぁと思っている。

母は昔からトイレが近く、特に夜は頻繁にトイレに起きる。付き添っている時でも長くて2時間、短いときには30分でトイレに起きる始末だ。その度にナースコールで看護士さんを呼んで、トイレの介助をしてもらわないといけないので気が引けるが仕方がない。
私も用事や風呂に入ったりしないといけないので昼間は家に帰るが、ナースの詰め所に「しばらく帰ってきますのでよろしくお願いします」と声をかけると、母を詰め所に連れて来ている。そうしないと部屋から出て行ったり動き回って危ないからだ。

結局、1週間母に付き添っていた。
posted by ぼにん at 20:21 | 岡山 ☀ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

入院付き添い

先生の説明が終わると入院手続きを行い、救急の看護婦さんに「今日は本人が不安がると思うので付き添ってあげてください」と言われた。
母にとっては訳が分からないまま病院に連れて来られ入院となったので、会社には1週間ぐらいと言って休みを取ることにし、2〜3日は付き添う覚悟でいた。

母は最初に倒れた時に目が見えないと言ってたらしかったが、入院するまでは気になるほど目が見えにくいようには見受けられないでいた。でも入院して食事をする時に目が見えにくいのがハッキリと分かった。
入院して2日が経った頃からだったか、夜中に幻覚を見るようになった。洗濯機やガス、炊飯器が見えるのか、壁に向かってスイッチを入れようとしたりする。先生に聞いてみると「環境が変わったので認知症がひどくなっているだけで、家に帰ると元に戻ります」と言われたけど、その時は半信半疑で「そうですか」と答えるだけだった。
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2007年01月08日

母が倒れる

平成18年2月、母が倒れる...

朝10時ごろ洗濯物を干していたのだろう、近所の方が倒れているのを見つけてくれて会社に連絡を入れてくれた。仕事が外回りなので帰るのに時間がかかるため姉に連絡を取り、とりあえず掛かりつけの医者に連れて行ってもらうことにした。そこでは手に負えないのか近くの市立病院を紹介してくれたので連れて行くと、そこでも結局なにも分からない・・・。MRIで脳を見てもらわなくてもいいか聞くと、「ここにはCTしかないので、それで見る限りは異常はみられない」と言われただけだった。その日はそのまま入院することにし、翌日朝病院に行くと元気に朝食を食べていたので問題ないのかなと思ったら、先生に呼ばれて「認知症がありますね、昨晩は徘徊がひどくて・・」と言われ、退院してもらいたいような口ぶりだったので、どうせ退院して脳で有名な病院で診察してもらおうと思ってたので、母を連れて帰った。
退院した日は土曜日だったので、診察してもらおうと思ってる病院が休みなので(救急はあいてるけど)とりあえず月曜かなと様子を見ることにした。
その翌日の昼食後、やっぱり早めに見てもらったほうがいいと思って、病院に電話をしてると、目の前で母が崩れるように椅子から倒れていくのでビックリして、病院に今の情景を伝え救急で連れて行くからと言って電話を切り、すぐに119番で救急を呼び病院に運んでもらった。
処置室で「MRIで見てみないとはっきりとは分からないが脳梗塞でしょうね」と言われた。MRI検査で小脳の辺りで血栓が詰まっているのが分かり、先生の説明では「2〜3週間の入院で、障害は残らない」と言われて、ホッと一安心のような複雑な気持ちだった。
でも、最初の市立病院はなんだ・・CTでも少しは脳梗塞かなと分かるんじゃないか、と怒ってしまう...実際MRIで見せてくれた写真では小脳の辺りにだいぶ多くの血栓が見えた。
posted by ぼにん at 19:30 | 岡山 ☔ | 2006年12月まで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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